むかし「PerlでもCGIできるの?」と聞かれたことを思い出しました。1を知り10を得る。本質を考えるって大事です。
自分流プログラム言語習得術。ハッカーじゃない人に、お届けします。
トラックバックの実装の説明です。トラバの意味がわからなかった人も、どうぞ。私もこのたび初めて知りました。
ブログのサイドバーって、実装がめんどくさそうです。そこで、Rails流サイドバーの作り方。componentsとカウンタキャッシュが使えます。
Railsのページキャッシュ機能。Railsがニクいのは、こういうところにあります。
Railsを使いこなすために習得するのは、Ruby言語だけ。これが扱いやすさの理由です。Javaとどう違うか、書いてみました。
2000年から2002年あたりにかけて、企業システムは次々と、クライアントサーバ型から、Webアプリケーション型に移植されていきました。当時を生きたエンジニアなら、誰もが経験したであろう話。
Webアプリケーションフレームワーク-Struts。このソフトウェアは、その機能以上の大きな成果をもたらしました。
J2EEの普及と共に、その開発方法の確立が急がれ、日本中のJava技術者があれこれ悩みながらプロジェクトを進めていました。このころ注目を浴び始めた、デザインパターンとUML。これはいったい何のためのツールでしょうか。
J2EE製品がどんどん売れ始めたころの話。ひとり歩きする「オブジェクト指向」を、お客さんに説明するのが大変でした。
RDFを公開しました。Railsに同梱されているBuilderでXMLを生成しています。
J2EEが登場したころの話です。初心に戻って、なんでJ2EEでなければならないのか?考えてみてはいかがでしょうか。
EntityBeanの採用は見送られました。処理速度の問題よりは、上流設計とのネゴシエーションがうまくいかなかったためです。
Apache2+FastCGI+Railsでの、パフォーマンスに関する注意点。
このブログサイトは、Ruby on Railsで自作しました。
1999年、J2EEのリリース前、初めてJavaアプリケーションサーバ・EJBにふれました。トランザクションとロジックの分離が、1つのキーポイントだと感じました。
1998年、ある官庁で、まだ実績も乏しいJavaが大々的に採用されました。まだサーバサイドJavaが発展する前のこと、サーバサイドを担っていたのがCORBAです。この「Java+CORBA」で確立されたアーキテクチャは、今現在でも、そう大きくは変わっていません。
仙台の「なまどら焼き」。特に「榮太郎」さんのなまどらが、数あるお菓子の中でも別格です。インターネットや通販でも買えるので、ぜひお試しあれ。
Javaがオモチャだったころ、Linuxもまた、産声をあげてました。そのころの思い出ばなし。インターネットの爆発的な普及は、これらの技術と無関係ではありません。
2005年は、Java生誕10周年のセレモニーに、業界全体がわいて(?)いました。そんな中、数々の著名人が「Javaの10年を振り返る」といった趣旨の記事を出しているのを読んで、自分も書いてみたくなったのです。
屋号を「武田ソフト」にした理由。意外と半年くらい悩んでたどり着いたんです(笑)。私なりに「ITのコモディディ化」を考えた結果、この名前になりました。
事業を始めるにあたって、今考えていること(初心)を書きとめておく。なんで、個人事業の形態で、IT事業を、田舎でやってみようと思ったのか、自分なりに整理しておきたいと思います。
武田ソフト代表。システムエンジニア。1973年山形生まれ。